2024年07月26日

「豊橋鉄道100年 市電と渥美線」を見てきた(主に地図・古写真を目当てに)

豊橋市美術博物館で開催中「豊橋鉄道100年 市電と渥美線」(2024.7.3-2024.9.16 チラシ)を見てきた。

自分的注目
1.「青写真」(いまは使わないだろうが…)ともいわれる計画図面がみられる。
  市電(豊橋市街地を走る路面電車)の戦後の路線計画図
  渥美線の豊橋駅乗り入れ計画・15師団駐留地(現在の愛知大学付近)の路線計画図等
久々にこの青い図面を見た!
「豊橋鉄道100年 市電と渥美線」を見てきた(主に地図・古写真を目当てに)
※撮影可のコーナにて撮影



2.大正・昭和初期の写真(ポストカード)が並べて見られる
  現在の神明公園付近からの写真に「丸物(まるぶつ)」の建物写ってて、先輩方には興味津々のよう。

Pinterest より

この 清水町に建ってた「丸物(まるぶつ)」を知ってる人は多くは無いと思うが…
以前にも調べた丸物(まるぶつ)関係を要約すると(内容は追記参照)
大正15年~昭和2年 松嶋屋
昭和2年~昭和5年 豊橋バザー
昭和5年~昭和7年 豊橋物産館(ロゴマークは【〇+物】で丸物百貨店に同じ)
昭和7年~昭和20年  丸物百貨店(豊橋支店)
昭和21年~昭和25年 駅前に移転
昭和25年~昭和48年 豊橋丸物に社名変更
昭和48年~平成15年 豊橋西武に社名変更(西武百貨店) 後に合併


3.豊橋鉄道社章(マーク)、マークそのものは気にしてないけどそのデザインコンセプトが良くて、再び見ると単なるマークには見えなくなる。(文章で書くとつまらないので割愛)
豊橋鉄道社章


参考:とよはしアーカイブ 知るほど豊橋【その八】市電と共に、マイペース・マイ豊橋
豊橋鉄道株式会社
豊橋鉄道グループ100thAnniversaryEブック

大正-昭和初期の写真の中で、現在の神明公園付近からの写真は計5枚あり、『丸物』が写っているは1枚。(昭和11年)
写真撮り忘れたけど
①大正末期(建物写っていない)
②大正15年(道路左に建物、『【〇+森】松嶋』の看板が写っている)
 →「松嶋屋」→昭和2年3月「合資会社松嶋屋バザー」官報27年5月25日より)※マークの森は代表者の名前からとったよう
③昭和初年(道路左の建物に『【◎+中】中村呉服』の看板が写ってる。道路右に『オーテ万年筆』建物)
 →昭和2年6月 「合資会社豊橋バザー」(官報1927年8月2日より)
④昭和5年頃(道路左の建物に『物産』『【〇+物】豊橋物産館』の看板が写ってる)
 →昭和5年6月 「豊橋物産館」→昭和5年11月「合資会社豊橋物産館」(官報 1930年09月08日)
⑤昭和11年(道路左の建物に『【〇+物】丸物百貨店』の看板が写ってる)
 →昭和6年12月大原実業合資会社が名古屋より転入(官報 1932年01月27日より)→昭和7年9月「合資会社豊橋物産館」解散「株式会社豊橋物産館」創業(翌月花田町へ移転)(官報 1932年12月05日より)※昭和7年に京都市になる合名会社丸物百貨店が豊橋物産館を同社支店として営業を開始。近隣小売業者ともめていたのを商工会議所が調停したとある(豊橋商工会議所五十年史より)

建物は木造4階建てで終戦間近の建物疎開(昭和20年5月)まではここで営業していたよう(豊橋百科事典 丸物百貨店 より)

戦後
昭和21年6月豊橋駅前に移転(木造2階建て)
昭和25年 株式会社豊橋丸物設立、鉄筋コンクリート3階、後に地上9階地下2階の店舗に増築
昭和48年 株式会社豊橋西武に変更
昭和57年 西武百貨店関西と合併
平成15年 閉店
(豊橋百科事典 丸物百貨店 とよはしの歴史 百貨店の進出より)


同じカテゴリー(日記)の記事画像
イオンモール豊川 2/1 照明が見える
跡地はどうなるのだろう
蒲郡市博物館「明治の地籍図を読みとく」展2
蒲郡市博物館「明治の地籍図を読みとく」展
宮路山の紅葉状況
廃線あるき:鳳来
同じカテゴリー(日記)の記事
 イオンモール豊川 2/1 照明が見える (2023-02-02 08:45)
 跡地はどうなるのだろう (2021-01-15 14:19)
 蒲郡市博物館「明治の地籍図を読みとく」展2 (2020-02-24 23:19)
 蒲郡市博物館「明治の地籍図を読みとく」展 (2020-02-24 06:33)
 宮路山の紅葉状況 (2019-11-25 22:23)
 廃線あるき:鳳来 (2019-03-05 09:00)

Posted by ajiwashi at 10:02│Comments(0)日記
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。