2024年01月21日
道標と鐘鋳場橋 下佐脇 1/20
近所に標石があると知って見に行ってきた
東三河を歩こう 下佐脇道標
畑の中にある十字路にある標石

現在通行止め告知の看板の後ろに隠れてる

この標石、東海道と平坂街道を結ぶ道で江戸時代の絵図にもそれと思しき道もある古い道で
大正期の郡道牛久保西方線ではないかと推定

今昔マップ(大正7年地図)加筆
左の東御馬は御馬海岸(御油海岸・海水浴場)・御馬湊のある名所、右の御油停車場は当時の東海道線の駅(現愛知御津駅)は東海道線豊橋-蒲郡間の唯一の駅だった。
標石建てられたのが大正期であれば、愛知電鉄(現名鉄)がまだなく、小坂井・牛久保方面からの利用もあったか
昭和初期の白川の改修により道筋変更され、御馬海岸も戦後なくなり駅名も変更された現在、この道標は感慨深い
道標石の前に立てられた看板にあるように、先にある鐘鋳場橋は通行止め
今回見に行ったら、フェンスで塞がれていて、一部朽ちている状況も見える


鐘鋳場橋 12/4 橋通行止めになっていた
東三河を歩こう 下佐脇道標
畑の中にある十字路にある標石

現在通行止め告知の看板の後ろに隠れてる

この標石、東海道と平坂街道を結ぶ道で江戸時代の絵図にもそれと思しき道もある古い道で
大正期の郡道牛久保西方線ではないかと推定

今昔マップ(大正7年地図)加筆
左の東御馬は御馬海岸(御油海岸・海水浴場)・御馬湊のある名所、右の御油停車場は当時の東海道線の駅(現愛知御津駅)は東海道線豊橋-蒲郡間の唯一の駅だった。
標石建てられたのが大正期であれば、愛知電鉄(現名鉄)がまだなく、小坂井・牛久保方面からの利用もあったか
昭和初期の白川の改修により道筋変更され、御馬海岸も戦後なくなり駅名も変更された現在、この道標は感慨深い
道標石の前に立てられた看板にあるように、先にある鐘鋳場橋は通行止め
今回見に行ったら、フェンスで塞がれていて、一部朽ちている状況も見える


鐘鋳場橋 12/4 橋通行止めになっていた
Posted by ajiwashi at 09:49│Comments(0)
│古道
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